宝くじのルーツとも言える富くじは、江戸時代「富突」や「突富」などと称され、番号などを記した富札を発行し、富箱に番号を記した木札を入れ、先端に針の付いた富突錐で木札を突き刺し、箱穴から突き上げるという独特の抽選方法をとっていました。
その起源は、江戸時代初期、摂津箕面山瀧安寺の正月に参詣した者が、自分の名前を書いた木札を唐びつの中に入れ、7日の日に寺僧が錐で突き、木札に書かれた当選者に福運の“お守り”を授けた富会(とみえ)とされています。また、「富興行一件記」によると、宝泉寺は江戸で最も古くから「富くじ」を行っていたことが記されています。
当初は福運のお守りを授けるくじだったものが、次第に金銭と結びつき、私的に富くじ興行も行われ多くの人々が熱狂しました。そのため幕府は、元禄5年(1692年)に禁令を出し、特定の寺社の興行だけこの富くじを認め、それ以外は私的な賭博行為として一切禁止されました。その中で宝泉寺は唯一、由緒ある宗教行事であったことから認可され、「富突」を続けることができました。
許可された寺社の興行は、大破・焼失などによる修復や再建費用調達の方法として天下御免の富くじ「御免富(ごめんとみ)」とされ、特に“江戸の三富”として谷中感応寺、湯島天神、目黒瀧泉寺の富くじが有名でした。その後、許可される寺社が激増し、また境内以外にも市中での富札の闇販売や町人による興行が蔓延したこともあり、幕府公認の御免富も天保13年(1842年)の天保の改革によって禁止されました。
旧感応寺(天王寺)所蔵の「富興行一件記」(寛永2年)によると、宝泉寺は江戸で最も古くから「富くじ」を行っていたことが記されています。
宝泉寺では、江戸初期から行われていた富くじ「富突」が400年の時を経て復活。当時の富突を再現し、毎年五月三日に開催しています。
五月三日の富突きに参加されたい方は、当日「富突」守り(1,000円)をご購入いただくと「富突き券」が配布されます。
一等から三等の方に、限定の木札と粗品を授与いたします。
一等の方は、今年一年の一番富が授かります。
【ネット販売】
期間限定でネット販売もいたします。ただし「富突券」は付きません。
2023年4月3日〜5月3日14時まで
■資料ご提供
日本銀行金融研究所貨幣博物館
http://www.imes.boj.or.jp/cm/